おはようございます。ここから3日目、2015/01/0です。
今日は帰りますが、その前に遊んでいこうと思います、特に行き先は決めてませんが。
月: 2015年1月
仙台駅到着(2015/01/01 21:12)
今日は、東日本大震災の被災地の現実の一端を見ることができました。
決して何も進んでいないわけてはありません。
あれから3年、衝撃的な風景を目にすることはありませんでした。
それでも、もう少し、資源を集中的に投下して、スピードをあげられないのか、と思います。
仮設の庁舎、仮設住宅。「仮」は長く続いていくうちに、日常に、いわば「普通」になってしまいつつあるようにさえ見えました。
スムーズに運行されてはいますが、代行バス輸送の輸送能力の低さは、「不便」なんてものじゃない、激変をもたらしたでしょう。
そして、静かに、でもやはりそこにある、福島第一原発事故の影響。
非日常がゆるやかに日常になっているようにさえ見えました。
そんな中で、少しずつ注目されなくなっていってしまうのかもしれません。
帰還困難区域から北17km
原町(駅は原ノ町ですが地名は原町みたいです)市街を後にして、国道6号線を南に歩いてみました。
国道6号沿いには大型店がそう間を開けずに建っていて、元日ですが営業しているお店も多く、お客さんも多い用で明るい雰囲気でした。
あれから3年とはいうのもあるでしょうが、地震や津波による被害のあとも感じられません。
これは、2014/12/15に自動車の通行のみ規制解除になった、福島第一原発事故の影響による帰宅困難区域が、この17km先にあるということです。
開けた街の中で、原発事故の影響が、静かに、はっきりとは見えずに、まるで横たわるようにある。そんな印象を受けました。
相馬駅出発(2015/01/01 14:26)
代行バスは13:01に到着したので、少し長い待ち時間です。
代行バスからは、東日本大震災の被災の現実の一端を目にしました。
代行バス山下駅は、山元町歴史民俗資料館がある敷地の中にありましたが、そこには「仮庁舎」と看板のあるプレハブが何軒かありました。元の庁舎が被災して、いまだ建て直されていない、ということなのでしょう。
国道6号を南下していくなか、「東日本大震災の津波の浸水地域」という案内板がありました。海の方向をどんなに目を凝らしてみても、海の影も形も見えないところです。そんなところまで浸水したのだとしたら、どうしようもなかったのではないでしょうか…。
福島県新地町に入るあたり、もう少し手前、つまり北側からですが、「応急仮設団地」といった案内板が多く見られるようになりました。特に被害がひどかった、ということなのでしょうか。
原ノ町駅に向かいます。