帰還困難区域から北17km

原町(駅は原ノ町ですが地名は原町みたいです)市街を後にして、国道6号線を南に歩いてみました。

国道6号沿いには大型店がそう間を開けずに建っていて、元日ですが営業しているお店も多く、お客さんも多い用で明るい雰囲気でした。
あれから3年とはいうのもあるでしょうが、地震や津波による被害のあとも感じられません。

暗くなりかけたころ、電光掲示板が見えました。
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これは、2014/12/15に自動車の通行のみ規制解除になった、福島第一原発事故の影響による帰宅困難区域が、この17km先にあるということです。

開けた街の中で、原発事故の影響が、静かに、はっきりとは見えずに、まるで横たわるようにある。そんな印象を受けました。

相馬駅出発(2015/01/01 14:26)

代行バスは13:01に到着したので、少し長い待ち時間です。

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代行バスからは、東日本大震災の被災の現実の一端を目にしました。

代行バス山下駅は、山元町歴史民俗資料館がある敷地の中にありましたが、そこには「仮庁舎」と看板のあるプレハブが何軒かありました。元の庁舎が被災して、いまだ建て直されていない、ということなのでしょう。

国道6号を南下していくなか、「東日本大震災の津波の浸水地域」という案内板がありました。海の方向をどんなに目を凝らしてみても、海の影も形も見えないところです。そんなところまで浸水したのだとしたら、どうしようもなかったのではないでしょうか…。

福島県新地町に入るあたり、もう少し手前、つまり北側からですが、「応急仮設団地」といった案内板が多く見られるようになりました。特に被害がひどかった、ということなのでしょうか。

原ノ町駅に向かいます。